ブレッド ブレイブ‐飼育勇者‐
一章 邪悪な魔道士(おお しんでしまうとは なにごとだ!)
【第3話】  塀の中と外では見上げる空も違う、なんて思うほど俺は多感なお年頃じゃないのだが、それでも開放感に心は躍り、俺は思わず空を見上げた。ほぼ一年ぶりの外界である。  ゆっくりと自由を噛みしめるように歩く俺とは対照的に、前を行く王女様はだいぶ速足である。時たまこちらを急かすように後ろを振り返る。  別に王女様と一緒に連れ立って行く必要はなかった。というより、俺も管理官も全てが終わるまで派遣協会で待つよういったんだが、祖国に置いてきた身内や民草のことが気懸かりらしい。王女は俺の旅に同行を申し出たのだ。  「ディトリンデ様、そんなに慌てんない。まだ先は長いんだぜ」  ディトリンデってのは、王女の名だ。  「何をいうのです。こうしている今も王国の民は苦しんでいるかもしれないというのに」  「急く気持ちはわかるがな。旅に危険はつきものだ。もう少し慎重になったほうがいい」  俺のいっていることは本当のことだ。今が平和の時代といっても、それはあくまで政治的に安定しているという意味である。当然、治安の悪いところもあれば、モンスターが出現することもあるのだ。  姫様の顔がくもった。派遣協会に辿り着くまでの苦労を思い出したらしい。  邪悪な魔法使いのもとから逃げ出した時、姫さんには五人の供がいたらしい。それが今は一人である。派遣協会に辿り着くまでの旅で死んでしまったのだ。聞いた話では、その旅は野盗やらモンスターやらがてんこ盛りの大変なものだったらしい。  気を取り直すようにしてディトリンデはいった。  「でも今は、多少の危険などどれほどのものだというのでしょう。何といっても勇者さまがご一緒なのですから」  あらら、管理官の野郎、姫様に全然説明してやがらねえな。  俺がいいかけた、その時だった。  モンスターがあらわれた。  モンスターがあらわれた。  モンスターがあらわれた。  ジングルが鳴ったかどうかはわからないが、ともかくモンスターの群れが俺たちの行く手を阻むようにして出現した。  モンスターは灰色熊《グラウバール》だ。やれやれグラウバール三匹か、初心者にはちと荷が重いぞ。  怪物の出現に顔が一瞬、青ざめた姫様だったが、次の瞬間には勝ち誇ったような顔になった。まあそりゃそうなる。何たってこっちには勇者様がいるのだ、たかだか熊三匹ものの数ではない。  「モンスターども、逃げ出すなら今のうちよ。勇者に勝てるとでもお思い?さあ、勇者様、お願いしますわ」  そういって後ろを振り返ったディトリンデの顔を俺は一生忘れないような気がする。  ディトリンデの顔は、勝ち誇った顔、何が起きたかを理解できないゆえの無表情、理解してからの驚愕、恐怖、と見事なまで四段変形を見せた。  それは仕方がないことかもしれない。だって、振り返ったら、頼りになるはずの勇者様がいなかったのだから。  俺はモンスター出現とほぼ同時にモンスターから充分な距離を取った。  平たく言えば、  ゆうしゃはにげだした、という奴だ。  いまだ事態の飲み込めぬディトリンデに俺は遠くから声をかけた。  「おい、あんたも逃げたほうがいいぞ」  「ど、ど、どど」  おそらく、どうして、とか、どういうことなの、とでもいいたかったのだろう。俺はディトリンデに説明してやった。  「管理官がいってただろ。勇者を派遣する際には、安全のためその力を制限するってよ」  「せ、制限?」  ディトリンデはじりじりと後退しつつ、いった。  「ああ、大抵の場合は種族制限《しばり》という処置をされるんだけどな」  種族制限《しばり》というのは、特定の種族に対してしか、能力を発揮できないようにする処置だ。それは、力を封じる魔法を応用して行われる。  例えば、竜《ドラゴン》退治に派遣される勇者は、竜族の種族制限《しばり》をされる。こうすると竜族に対しては、勇者の力を発揮できるのに、他の種族のモンスターに対しては勇者の力を発揮できなくなる。つまり、神をも屠る竜さえ退治できる一方、何の変哲もない灰色熊には勝てない、そんな事態も有り得るのだ。  ちなみに現在、ツヴァイテルで確認されている種族は全部で六つ。竜、人、獣、蟲、霊、樹の六族である。  「じゃあ、あなたは今、一般人なみの強さしかない、ということなのですか!」  ディトリンデは叫んだ。  俺は黙ってうなずいた。  ただ、この種族制限《しばり》の目的は無論、人間を勇者の脅威から守るためのものである。だから、今回みたいに標的が、邪悪な魔法使い、要は人間である場合は使えない処置である。  当然、今俺に施されている処置は種族制限《しばり》じゃないわけで、そのことも王女に説明しようと思ったが、さすがにそれはできなかった。モンスターが王女にいよいよ迫ったからだ。話を聞いている余裕はない。管理官の癖がうつったらしい、余計なことだけ喋って、俺は肝心の説明を王女にできなかった。  ディトリンデは少しずつ後退しながら隙をついて逃げ出したが、さすがにグラウバールが三匹もいては厳しい、その結果は失敗に終わった。  おうじょはにげだした。しかし、まわりこまれた。という奴だな。  「頑張れー」  おれは手をふった。  ディトリンデは三匹に取り囲まれ、もう逃げるのは不可能だった。  「ち、ち、ちょっと、勇者様!手伝ってはくださらないのですか?」  「俺に下された命令は、魔法使いを倒すことだ。それ以外はどうでもいいからな。俺にとっても派遣協会《うえ》にとっても」  派遣協会的には魔法使いさえ倒せばOKなのだ。クライネシュマルク王国の内乱が収まらなくても全然構わない。極端な話、王国が滅んでも派遣協会《あいつら》は何も思わないだろう。無論、王女様が死んでも。  「だから、避けられる危険は避ける!」  俺は胸をはった。やっぱ今の俺じゃ灰色熊三匹は辛い。  「スライム三匹だったら、手伝ってやったんだがな」  「スライムだったら、そもそも助けはいりません!」  ディトリンデは叫んだ。それもそうか。  一時間後、俺は惜しみない拍手を送った、王女様へ。  何と、王女様はグラウバールの群れを一人で退治したのだった。  肩で息をするディトリンデに賞賛を送る。  「おー、凄い凄い」  姫様は何故だか、もの凄い形相で俺を睨んできた。俺の方へ向かってくる。  「おーい」  俺はディトリンデに声をかけた。無視された。どういうわけか機嫌が悪いらしい。  「おい」  もう一度、俺はいった。ディトリンデは顔を向けた。顔が何よ、といっている。  いや、あのな……、俺はいった。  「後ろ、新手だぞ」  ディトリンデの背後には新手のモンスターが迫っていた。  平原にディトリンデの絶叫がこだました。