ブレッド ブレイブ‐飼育勇者‐

四章 穏やかな日々
(おお! わたし の ともだち!)
【第22話】  それは奇妙な形をした建造物だった。  それは巨大な輪《リング》がいくつも重なってできていた。リングの数は五つあり、それぞれの輪の中心には軸が通り連結されている。連結部分以外は固定されておらず、今は静止しているが本来は可動する仕掛であることがうかがい知れる。連なった五つのリングを支えるのは半円型の酒杯《ゴブレット》のような台座だ。  もし、これを天文学に詳しいものが見たなら、それは天球儀であると看破したであろう。リングは星の軌道を表したものだったのだ。  ただ、天球儀にしてはかなり大きい。リングの円周は人が百人集まってようやく手が届くぐらいの大きさだ。全体でちょっとした城ぐらいの大きさはある。  天球儀の台座部分が蠢いた。いや違った。天球儀そのものが動いたのではなかった。天球儀のふもとに数人の人間がいたのだ。  「ずいぶんと大きいのだな」  一人がいった。  「しかし、こんな北の辺境にまで足を運ばねばならぬとはな。ここがそんなに良かったのか?」  別の一人がいった。  「ああ、ここがいい。いや、ここでなくては駄目なのだ。この天球儀自体が触媒なのだからな」  また別の人間が応えた。  「それが派遣協会から盗んだ情報、というわけか。確かなのであろうな」  四人目の問いかけに先ほどの男はうなずいた。  「この遺跡のことだけではない。全く大したものだよ、派遣協会が蓄えた知識は。おかげで我々も今回の計画を実行に移せる」  「それにしても、大丈夫か?こんな目立つ場所で・・・・・・。呼ぶ気なんだろう?」  男は不安げにあたりを見渡した。  「何、問題ない。堂々としておればよい。これはある意味公式なものなのだからな」  男はいった。  「確かに、誰も夢にも思うまい」  男はさもおかしそうに笑った。  「こんな町中で、魔王を呼び出すとはな!」  ヒュンと風切り音を立て、矢は灰色熊《グラウバール》の胸を貫いた。  地響きを立て、灰色熊の巨体が倒れこんだ。心臓を一撃だ。苦痛を感じる暇もなかったろう。  地面に横たわった熊に犬が駆け寄り吠える。今頃、遅いていうの。ほんとにこいつは役立たずだな。俺は苦笑した。熊を仕留めるのに何の役にも立たなかったというのに、猟犬のシルベルはどや顔で立っている。  今日の獲物は灰色熊だけか、俺は気落ちした。  せっかくの獲物も俺の口に入ることはない。俺は豚以外の肉は食べられないからだ。熊は解体して、ふもとの集落に持っていくとしよう。  俺は灰色熊の巨体を引きずって、ソリの上に乗せた。ソリを引き、灰色熊を引く。役立たずの我が愛犬はソリ引きを手伝う素振りも見せない。  まあ、本当は俺もソリなんか使わず、それこそ片手で軽々と熊ぐらい運べるけどな。ただ、それをやったら俺がただの猟師じゃないことがばれちまう。山の中だ。辺りに人の気配はなかったが、用心するに越したことはない。  闘技場から脱走して既に一年が経っている。  俺は猟師として暮らしていた。  この一年は平穏そのものだった。  俺はイレミアスとランプレヒトと別れてからたどり着いた集落の近くに山小屋を建て、そこで暮らしていた。一応はお尋ねものだ。人との接触はできるだけ避けるに限る。集落の中に住むのは避けたのだ。ただ、集落の人間とは没交渉というわけではない。仕留めた獲物を何がしかの品と交換してもらうことはたびたびあった。  仕留めた熊の解体を終えて、俺は一息ついた。最近ではすっかり猟師業が板についてきたと自分でも思う。  猟師を選んだのは第一に、あまり人と会わずに一人でやっていける職業だからだ。あと、俺の超人的な力を生かせるということもある。もっとも、勇者とばれるわけにはいかない。あまり派手な真似はできない。  豚以外の肉が食べられない俺に取って、猟師という職業は自給自足の観点からするとはなはだ効率の悪いものではあるが、俺はこの暮らしを気に入っていた。確かに暮らしは豊かとはいえない。だが、それでも収容所の生活とは比べものにならないほど楽しい。  収容所にいた時は何でも手に入った。俺のためだけに作られた最高級のディナー(無論、豚、麦、乳製品以外は不使用だ)、一般人の一月分の給金と同じだけの値段の火酒《ウィスキー》、都で一番の芸妓・・・・・・、その他もろもろ。派遣業務の報酬は莫大だったのだ。  だが、収容所では肝心のものが手に入らなかった。  自由だ。  目の前に行く手を阻む壁がない、ただ、それだけのことが嬉しかった。  どれだけ贅沢ができようとも、そんなものは自由の前では霞んでしまう。あの中にいた勇者《おれたち》は生きながら死んでるも同然だった。こうして外での世界で生きる今、改めてそう思う。