ブレッド ブレイブ‐飼育勇者‐
一章 邪悪な魔道士(おお しんでしまうとは なにごとだ!)
【第6話】  空中に浮かんだ男は音もなく空を移動し、そのまま俺たちの前に下りたった。辺りの兵たちは感嘆の声をあげ、男に対し深々と頭を下げた。  黒いローブを羽織り、手には装丁がぼろぼろになった本を持っている。本の表紙に書かれた文字は今世界のどこでも使われていない文字、古代文字だった(俺は視力がいいのだ)。恐るべき古代の魔道書、禁書だった。  すると、この男が件の魔法使いってわけか。やれやれ、まさか御大将自らお出ましとは。俺の予定は狂いっぱなしだ。  俺の予想は当たったようだ。ディトリンデがその男をもの凄い形相で睨みつけている。まるで、仇を見るような目つきだった。あ、本当に仇だった。ディトリンデは、この魔法使いに親を殺されているのだ。  俺の顔も険しくなった。義憤にかられたわけじゃない。俺のは嫉妬だった。野郎、いい男じゃねえか。ローブに包まれた体は均整が取れ引き締まっていた。顔は彫が深く整っている。絵に描いたような美丈夫だった。  「そなたらなかなか使うそうだな。王というのもなかなか暇でな、退屈しのぎに少し相手をしてやろう」  魔法使いはいった。どうやら、兵の中に律儀に報告しに行った奴がいたらしい。  「王だと!貴様が!!」  ディトリンデは叫んだ。  「む、貴様、いやあなたは……」  魔法使いはディトリンデを見つめた。  その逞しい腕を。日に焼けた顔を。  「……姫????」  「何でそんな盛大に疑問なのよ」  ディトリンデは苦虫をつぶしたような顔だ。俺は、うんうんとうなずいた。どちらに対する賛同かはいわない。  「どうやら私を倒すため、随分と研鑽を積まれたようですな」  かつての深窓の令嬢の頭から足先まで、見つめて魔法使いはいった。  「好きで強くなったわけじゃないよ」  ディトリンデにじろりと睨まれ、俺はあらぬ方を見た。  「とにかく……覚悟なさい」  ディトリンデは気を取り直すようにして、呟いた。  「父の仇、今ここで討つ!」  ディトリンデは剣を正眼に構えた。  みるみる気迫がみなぎっていく。闘気がオーラとなって見えるほどだ。  ほう、俺は感心した。今でこそ役立たずの俺だが、本来は一流の戦士である。見る目は今でも健在だ。その俺から見てもディトリンデの強さは本物だった。  こいつはひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。このまま俺の出番はなしか。  一喝と一閃、ほぼ同時だった。  無骨な大剣は、一筋の光と化した。  光は黒い魔法使いを切り裂いた。  だが、それは残像だった。  大剣を切り下ろしたディトリンデの背後に、魔法使いがいた。魔法使いは酷薄な笑みを浮かべていた。  轟音と稲光がディトリンデを襲った。  魔法使いが電閃《ドナー》の呪文を唱えたのだ。  電撃を食らい、ディトリンデは短い悲鳴をあげ地面に倒れこんだ。  俺の見立ては甘かった。確かにディトリンデは剣士としてすでにひとかどだった。だが、魔法使いの強さは、それ以上だ。はっきりいって段違いだ。圧倒的だった。ディトリンデではどう逆立ちしてもかなう相手じゃない。さすがは|第一類の魔道書《きんだんのしょ》持ちの魔法使いだ。  「その程度でどうにかなると、お思いか。ここにあるは禁断の魔道書。魔界の王すら呼び出し、従わせるも可能な魔道書なのですぞ」  高らかに笑う魔法使いにディトリンデは顔をあげ、にらみつけるのが精一杯だった。  「安心なさい。殺しはしない」  魔法使いは優しげに微笑んだ。  「その血統、利用させていただく。殿下は姉君たちと違い、ご結婚はまだでしたな。この国を効率よく治めるためには、旧王家を取り込むのが一番!」  「あなた、私を……!」  「そう、あなたには私の……つ、つ、妻に……」  「コラァ!そこ何でためらった!?」  元深窓の令嬢は歯軋りした。俺はやっぱり、うんうんとうなずいた。  と、漫才聞いてる場合じゃない。次は俺の番だ。  「さて、お主はもう少し我を楽しませてくれるのであろうの」  魔法使いは俺に尋ねた。  こういう時は思い切りが大事だ。  おれはいった。  「いやぁ〜、お強いですね。ワタクシめ大変感服いたしました。私などがお相手するなどとは、とてもとても」  俺は揉み手しながら、笑いかけた。それはもう揉みに揉んだ。  「何でもしますから、お仲間に入れていただけませんかねえ〜。いやホントに何でもしますんで」  ここは時間稼ぎの一手だ。時間制限《タイマー》が解けるまで、あと二十日。それまでは仲間になってでも、時間を稼がなくては。  ディトリンデからの視線は刺さるほどに痛い。だってしょうがねえだろ。  もっとも、俺はここで戦いになってもいいかな、と少しは思っていた。本当だ、強がりじゃない。  俺の能力のことを考えると、ここで戦っても問題はない、多分。ただ、戦わなくても問題はない。だったら戦わないに限る。俺だって|痛い《・・》のは嫌なのだ。  俺のおべっかに魔法使いはクールにフッと笑った。無論、目を閉じたままクールにフッ、だ。  こういう奴はええカッコしいだからな、仲間にはしないまでも命は取らないで見過ごすことは大いにある。ケッ、いい気になってろよ、二十日後、力を取り戻したらおまえなんぞ……。  俺の体を氷の刃が貫いていた。  「!? な、何で」  俺は口から血の泡を吹いた。気づいた時には体中を氷の刃が貫いていた。氷刃《エイスネイデ》の呪文だ。  「その手は食わぬよ、勇者殿!」  魔法使いはいった。畜生、俺が勇者だと気づいていやがったのか。  「派遣協会からの者、必ず来ると思っていたぞ」  魔法使いは笑った。俺《ゆうしゃ》を待ちわびていたわけか。道理で、ちょっと強い侵入者が現れただけで、大将自ら出向いてきたわけだ。  「おそらくは限定解除までの時間稼ぎだったのだろうが……。哀れだな。飼い馴らされた勇者は。自分の自由に力も使えぬというのだから!」  魔法使いは高笑いしている。ただ、俺の耳にはもう耳障りな笑い声も遠いものになりつつある。口の中は吐いても吐いても血が溢れ出てくる。傷の痛みよりも息が詰まり、それが苦しい。俺はたまらず大量の血を吐きだし、膝をついた。こりゃ、もう長くない。  悲痛な声をあげ、ディトリンデがこちらへ駆け寄ろうとしている。  魔法使いは一喝、暴風の魔法を唱え、ディトリンデを吹き飛ばした。  「ハッ、そこでおとなしく見ておれ。希望が潰えるさまをな!」  魔法使いは呪文を唱えた。業火《フュラー》だ。  俺の頭上で巨大な火の玉が燃え盛っていた。火の玉は直接触れてないのに、既に俺の髪は燃え、皮膚は焦げ出していた。  そして、火の玉は俺の上に落ちた。  最後に耳に聞こえたのは、ディトリンデの叫びだったろうか。  地獄の業火にも例えられる魔法の炎は、俺の髪を皮膚を肉を目玉を内臓を全て燃やした。  俺は死んでしまった。