一章 邪悪な魔道士(おお しんでしまうとは なにごとだ!)
【第7話】
重々しい音をたて教会の鐘は鳴り響いた。さんさんと輝く太陽に照らされ、白亜の教会はその神々しさをより一層増していた。教会の頂上の鐘は日の光を受け金色に輝き、振り子のようにゆったりと揺れている。
それは婚礼の儀式の開始を告げる合図だった。
魔道士と先代王の遺児であるディトリンデ姫との婚儀だ。
婚儀は宮廷のものだけでなく、広く一般の民に対しても開放された。
式にはたくさんの人々が駆けつけていた。だが、彼らの顔は一様に晴れない。この結婚を心から祝福するものはほとんどいなかった。ただ彼らは、新しい支配者の機嫌をそこねるのが恐ろしかったのだ。
式の主役である魔道士が登場した。続いてディトリンデがあらわれると、辺りからは悲嘆とも慨嘆ともつかないため息がもれた。
このまま結婚させていいのだろうか、との思いが王国の民にはあった。もとより、先代王は暴虐の王ではない。名君とはいいがたかったが、特に問題のない治世であったのだ。長年この国を治めるものとして、先代王は臣民に親しみをもたれていた。
一方、魔道士は謀反を起こし、今の座についたのだ。ましてや特に罪のない先王を弑逆したのだ。その心象が良いわけはなかった。
人々の思いとは裏腹に式は粛々と進行し、あとは誓いの儀式である指環の交換を残すのみとなった。
魔道士と王女は、神官に導かれるようにして向き合った。
魔道士が花嫁の手を取った。
親の仇である花婿に花嫁は今、何を思うのだろうか。
好奇と哀れみの視線が王女に注がれた。
当の王女は緊張のためか、それとも全てを諦めきったせいだろうか、その顔は全くの無表情だった。目もどこか虚ろである。
魔道士が王女の薬指に結婚指輪を近づけた。
本当にこのままでいいのだろうか。
先代王を殺し、その娘と結婚とは何と醜悪なことだろう。
そして、我らの哀れな王女殿下。話では、自ら仇を討たんとこの国へ帰ってきたそうである。それが失敗して、無理に結婚させられるとは。今我らに見せている無表情も絶望のすえではないのか。
式場の最前に陣取った人々は誰しもがそう思いながらも、ただ指環がはめられていくのを見守ることしかできなかった。
いよいよ指環が王女の薬指にはめられようかとした時、式場の後ろから声があがった。
それは、歓声だと誰もが思った。
だが、違った。
それは恐怖の声だった。
恐怖の悲鳴は次々と連鎖し、式場にいた人々は逃げ出した。人の群れは真ん中に道ができるように真っ二つに割れていた。
その先に、醜悪なモンスターがいた。|生ける屍《レーベ・カドヴァ》だった。
突如あらわれたモンスターに辺りは混乱を極めた。
おまけに出現したのは、世にもグロテスクな|生ける屍《レーベ・カドヴァ》だ。人々は泣き叫び、我先にと式場から逃げ出した。
生ける屍は、骨が剥き出しになった体をぎこちなく動かし、血をまき散らしながら、ゆっくりと教会の中へと入ろうとしていた。
辺りをつんざく人々の悲鳴にディトリンデは正気を取り戻した。これまで魔道士による精神支配を受け、自失の状態だったのだ。
「嘘、生ける屍!? 何でこんな街の中に!?」
ディトリンデはいった。
生ける屍はきちんと埋葬されずに、野晒しになった死体に死霊が取り付き誕生する。
このような街の中にあらわれることは皆無といってよかった。
意識を取り戻したディトリンデを魔道士は忌々しそうに一瞥したが、今はそれどころではない。
「ええい、このようなはれの日に、あのような不浄なものがあらわれようとは!」
魔道士は苛立たしげにいった。だが、憤っていたが魔道士は冷静だった。
魔道士は婚儀を取り仕切っていた神官に生ける屍の退治を命じた。
無論、生ける屍の一つや二つ、魔道士にとっては物の数ではない。だが、魔道士の魔法の攻撃力は甚大で、辺りにも被害を与える。
本心では犠牲者など幾ら出ようとも構わなかったが、この先、国を治めていくのに無駄な反発を招くのは避けたかった。その点、神官の使う退魔の呪文は、邪悪なるものにしか効かず、周りの人間に被害が及ぶことはない。
神官が呪文を唱えると光の柱が天より降り立ち、生ける屍を包んだ。光の柱はそのまま輝きを増していき、最後に閃いた。闇を退け、邪を封じる神聖呪文だ。この呪文の前ではいかなる死霊も消え去るより他ない。
だが、消え去るはずのモンスターは依然として、そこにいた。
光の呪文に何ともない様子で生ける屍は立っていた。
「神聖呪文が俺に効くわけねえだろ――」
生ける屍はいった。本来、口をきけぬはずの、理性を持たぬはずの屍が口をきいたのだ。
「勇者である、この俺に!」
屍は笑った。