序章 選ばれしものたち(そして でんせつが はじまった!)
大剣が一閃した。
聖なる剣は闇を大気を、そして敵の肉体を切り裂いた。
確かな手ごたえを感じつつ、勇者は後ろへ飛びのいた。
反撃に備えたのである。
だがもし反撃があれば、到底それを持ちこたえることはできそうにない。
体力は既に限界だ。
回復呪文を唱えようにも精神力も尽きていた。仲間も傷つき斃れてしまっている。
先ほどの一撃はまさに最後の気力を振り絞ったものだったのだ。
勇者の祈るような気持ちをあざ笑うかのように、目の前に巨大な黒い皮膜が広がった。
竜が翼を広げたのだ。
ただの竜ではない。神にも等しき上なる竜《ハイドラゴン》である。
墨滴が落とされた澱みのように勇者の心は絶望に染まった。
やはり、上竜《ハイドラゴン》を倒すなど人間にはどだい無理な話だったのか。神に挑むかのような愚かな所業であったのか。精も根も尽き果てた勇者が膝から崩れ落ちそうになった、その時であった。
大気が震えた。
上竜が啼いたのだ。耳をつんざくような咆哮である。
それは、断末魔だった。
地響きをたて、巨体は大地に沈み倒れこんだ。巨体にあおられ土埃が舞い上がる。
やがて土埃がおさまっても、ついに竜はぴくりとも動くことはなかった。完全に死んでいる。
勇者は竜の死体を呆気に取られた表情で眺めていた。そして、頭を垂れ息を一つついた。
次の瞬間、勇者は顔を上げた。
泣いていた。
ここに到るまで様々な犠牲を払った。辛いことばかりだった。何度も逃げ出そうと思った。だが仲間に支えられ、ここまで来た。その仲間すら最後の戦いで喪った。
その結果の勝利である。勇者は悲しみゆえに震え、また喜びゆえに震えた。
勇者は剣を天に掲げ、雄叫びをあげた。闇にあっても聖剣の輝きは損なわれることはなかった。声は弱々しくいかにもちっぽけな人間の叫びであったが喜びに満ちていた。
闇に灯ったその光は新たな時代の夜明けであったろうか。闇に響きわたる雄叫びは平和な時代の到来を告げるときの声であったろうか。
光り輝く聖剣を鞘に納めると辺りが暗くなった。だが、地下迷宮に完全な暗闇が戻ることはなかった。竜の巨体の後方に辺りを微かに照らすものがあった。
竜の死体の向こうにあったのは宝の山だった。
それは文字通り宝の山だった。金貨や銀貨は言うに及ばず、巨大な宝石、魔力の込められた秘石、ミスリル銀の細工物などがうずたかく積まれ、比喩ではなく山をなしていた。
目の前を覆う財宝、これら全ては勇者のものになったのだ。いや全く勇者以外にこの宝を受け取るに相応しい者はいないだろう。
財宝の煌きに勇者は目を細めた。今まで見たことのない財宝に圧倒され、思わず唾を飲み込んだ。
ところで、この世界にあって悪しきものとは何だろうか。
たった今、勇者が倒した竜?
確かに、この竜は徒に人を襲い食らい、町を焼いた。
無論、これは悪しきものである。しかし、悪しきものは他にも存在する。
それは何か?
勇者は宝の山に手を伸ばし、金貨を一枚手に取り見つめた。この一枚だけで貧しい寒村なら人ひとりとだって交換できるだろう。勇者の顔から表情が消えていた
さて、恐るべき竜よりも悪しきものとは何であるのか。
そう、それは・・・人間だ。
結局一番の悪と成り得るのは、人なのだ。
黄金に照らされ、闇の中に勇者の顔が浮かんだ。
その顔は・・・笑っていた。