三章 自由への道(にんげんになるのが ゆめなんだ。)
【第20話】
ついに明日で逃亡生活は十日目を迎えることになる。
俺たちは派遣協会の追跡の網から完全に逃れていた。
派遣協会も暇ではない。この広いツヴァイテル大陸のどこかにいる、たった数名の逃亡者を捜す気にはなれないだろう。
そういやあの時、俺たちに便乗して逃げ出した他の勇者連中はどうなったのか。俺たちにはイレミアスがいたが、奴らにはいない。逃亡が成功した確率は低いように思う。
逃亡に成功した俺たちだが、勿論、この先も油断はできない。
俺たちの捜索が打ち切られたとしても、それとは関係なく派遣協会は勇者の卵を見つけるために、世界各地に調査官を派遣しているのだ。調査官のもとには俺たちの人相書きだって送られているだろう。
それ故、ここから先は目立たないことが何より重要になる。
これまでは、派遣協会の追手との戦闘があることも考えて三人一緒に行動した。だが、捜索の網を抜けた今となっては、徒党を組む利点はない。むしろ、やたらに人目につくというデメリットしかない。
別れの時が来たのだ。
だが、別れる前に俺にはやることがある。
どうしても確認したいことがあった。
何のかんの理由をつけて、俺はイレミアスを呼び出した。
二人きりで話しておきたいことがあった。
脱走する前から、ちょっとおかしいとは思っていた。だが、この逃亡劇で寝食を供にして、俺は疑念を確信に変えた。
「何だい、話って?」
イレミアスの問いかけに俺は黙りこんだ。
柄でもねえ、と思いながら俺は先を切り出せなかった。
いや、俺の思い過ごしかもしれない、ここは明るく何気なく訊けばいいんだ。ズバッとよ。
・・・・・・駄目だった。言葉が出てこない。くそう、俺はこんな意気地なしだったのか。
「やっぱり気づいてたんだね」
イレミアスは微笑んだ。
「・・・・・・やっぱり、そうなのか?だから、おまえは脱走を・・・・・・」
俺はここまでの旅を思い出した。突如、意味不明なことを言い出すイレミアス。来た道を理由もなく戻ろうとするイレミアス。ついさっきあった出来事を憶えていないイレミアス。
「うん、僕は病気だ」
それも不治の、そっとイレミアスはつけ加えた。
俺は空を見上げた。忌々しいほどに青い。
イレミアスが自分の異常に気づいたのは一年前のことらしい。
最初はほんの一瞬意識が途切れるだけだったらしい。だが、日を追うごとに症状はどんどんひどくなっていき、今では、日に何度も記憶が途切れ、自分のしたことも自覚できなくなっているらしい。
医者の話では若年性痴呆の一種らしい。このままではいずれ、自我も失われ、寝たきりになり、そのまま死んでしまうだろうという話だ。
診てもらったのは町の医者だ。知り合いのつてで医者を紹介してもらい収容所に来てもらったのだ。派遣協会に知られたら、どうなるかわからない。収容所に常駐している医者に診てもらうわけにはいかなかったのだ。
「まったく、勇者としての力は封印していたから、不運は僕に降りかからないはずなんだけどねえ、普通人としての僕も運は良くないようだ」
イレミアスは自嘲気味に呟いた。
イレミアスはここ五年ほど収容所から出ておらず、ずっと封印されている状態だったのだ。
俺はただ頭を振った。
病の前では勇者も普通の人間と変わりない。病気にかかったら、正しい治療をして回復を待つしかない。だが、イレミアスのかかった病気には治療法は存在せず、回復の見込みもないという。このまま全てを受け入れるしかなかった。
「まあ、どうせ死ぬなら、せめて自由を味わってから死にたい、そう思って脱走したんだ」
イレミアスは寂しげに笑った。
「だったら、せめてお前の不運だけでも・・・・・・」
いいかけた俺をイレミアスは制した。
「死ぬなら、勇者として死にたい」
イレミアスは俺の申し出を拒否した。イレミアスには俺のいいたいことがわかっていた。俺はイレミアスに能力封印の魔法をかけようとしたのだ。そうすれば、病気の進行は止められないが、不運が降りかかるのだけは防げる。
「それに神様のお目こぼしってわけなのか、病気になっていること自体が不運なせいか、今のところ不運は僕に襲いかかってこないからね。本当だったら、二十回ぐらいは死にそうになっても不思議はないのに」
だから、不運のことはそんなに心配しなくてもいいかもよ、イレミアスはいった。
静かに笑うイレミアスを前に俺はただ黙っているだけだった。
こんな時一つもかける言葉が見つからないとは、俺は自分の無学を呪った。
逃亡生活十日目の昼に俺たちは別れた。
必ず、今日で解散と決めてたわけじゃない。今日も起きて簡単に朝食を済ませ、俺たちはいつも通り山道をただひたすら歩き続けた。
そのまま、道がただ一本きり続いていたのなら、今もまだ三人一緒に旅をしていただろう。だが、日が中天を過ぎたころ、俺たちは十字路に出くわした。
特にそう決めてあったわけじゃないが、俺たちはここで別れることになった。改めて何もしゃべらなかった。
「じゃあ、俺はこっち行くわ」
俺は右手の道を指差した。
「そう、じゃ僕は左にするよ」
イレミアスがいった。
「なら俺はこのまま真っ直ぐだな」
ランプレヒトがいった。
「そうだ、イレミアスその剣返せよ。そりゃ元々俺のだろう」
ランプレヒトが右手を差し出した。
イレミアスの腰には剣があった。武闘祭で不正に用意した特製の剣だ。
「そういや、そうだね」
特に不満な様子もなくイレミアスはランプレヒトに剣を渡した。
厳密にいや、ランプレヒトの物でもないんだが、俺も特に文句はつけなかった。
何もいわない俺たちにランプレヒトは拍子抜けしたような物足りないような顔をした。性悪なコイツも別れが惜しいのだろうか。いや、そりゃ俺の気持ちか。
ランプレヒトがイレミアスの病気に気づいているかはわからなかった。もっとも気づいていたとしても、何もいわないだろう。ランプレヒトは性根が腐っているのは確かだが、いうべきではないことをいってしまうほど駄目人間ではない。
「じゃあな」
「うん、それじゃあ」
「おう」
それが俺たちが最後に交わした会話だった。
俺たち三人は別れた。